【存光寺】
要害山の麓にある曹洞宗の寺。開基は不明ですが、約300年前に出雲の一畑薬師から十二支神を持ち帰って開いたと伝えられる薬師堂があり、目の不自由な人に対してご利益があるとして信仰されています。かつては厳島合戦で敗れた陶軍の将兵の霊を弔うために、毛利軍が甲冑をつけて舞った事に由来する湯立神楽が行われていました。

【徳寿寺】
「金石(きんせき)地蔵」と呼ばれる子授け地蔵で有名な曹洞宗の寺。その由来は、老夫婦が子どもがいないのを憂い仏様に祈り続け、ある夜、竹林の中で輝いている石の地蔵尊の夢をみて、竹林に行ってみると本当に石の地蔵尊があったとか。その地蔵を手厚く供養すると男子を授かり、長じて広島藩主お抱えの力士になったことから、夫婦はこの地蔵尊に深く帰依し正徳5年(1715年)に御堂を創建。さらに安置した石の地蔵尊がいつの頃からか黄金色となり、以来、金石地蔵と呼ばれるようになったと伝えられます。

【真光寺】
島内では唯一の浄土真宗の寺。かつて宮島には厳しい霊地法度があり、その中で真宗ご法度が唱えられていましたが、安芸門徒の移住や婚姻関係等で真宗信者が増え、戦前に説教所が発足。終戦後に法令が改正され、独立した寺院となりました。

【不動堂】
不動堂は嚴島神社の「艮(うしとら)」にあたることから鬼門鎮護のために建てられました。 不動堂は大御堂といわれ、嚴島神社の東北にあり、鬼門鎮護の霊場です。明治維新の混乱期に本尊の釈迦如来様が持ち去られ不動明王と毘沙門天のみが残り不動堂と呼ばれるようになりました。

【宝寿院】
天慶9年(946年)、開基と伝えられる真言宗の古刹。寺のすぐ裏手の山に「馬酔木(あせび)」が群生していたことから「あせび寺」とも呼ばれています。本尊の秘仏・阿弥陀如来をはじめ、数多くの仏像・仏画を所蔵。また境内の聖天堂に祀られている歓喜天(聖天さん)は、商売繁盛の神として有名。

【光明院】
室町時代、以八(いはち)上人が開基した浄土宗の古刹。町民の信仰のために建てられた宮島で最初の檀家寺です。宮島には壇ノ浦の合戦の際、海に身を投げた二位の尼の遺体が有之浦に漂着したという言い伝えがあり、光明院の隣にあった神泉寺に尼を弔って阿弥陀堂を建て尼の木像を祀っていましたが、神泉寺が廃寺になり光明院に移され、現在は宮島歴史民俗資料館で弔っています。また、“宮島の恩人”として名高い誓真和尚が修行した寺でもあり、山門前には誓真大徳碑が建てられています。

【大願寺】
正式な呼び名は、亀居山放光院大願寺(開創802年)。この寺の秘仏厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つ。弁財天は現世利益の女神様で、神仏習合の時代は嚴島神社の主神・市杵島姫令が理財の女神として崇められるようになり、仏教の弁財天と同一視されていました。

【大聖院】
正式な呼び名は多喜山水精寺大聖院。霊峰・弥山の麓にある真言宗御室派の大本山で、明治の神仏分離令までは十二坊の末寺を有し、嚴島神社の別当職として祭祀を司ってきた宮島の総本坊です。寺伝によれば、大同元年(806年)に弘法大師空海が三鬼大権現を勧請し弥山を開基して以来1200年の歴史をもち、弥山山頂の霊火堂や三鬼堂、求聞持堂などの管理にも携わってきました。本堂は鳥羽天皇の勅願道場として創建されたことから、鳥羽天皇の第五皇子である覚性法親王が門跡を務めた京都・仁和寺や歴代皇室との結びつき深く、安土桃山時代には後奈良天皇の御子で仁和寺第二十世任助法親王が法流相伝のために逗
留、明治天皇の厳島行幸の際には行在所となっています。今日嚴島神社の年中行事として行われている八月の玉取祭や大晦日の鎮火祭は、任助法親王が京より伝え天正年間に大聖院から始まったもの。また天下統一を果たした豊臣秀吉がここで盛大な歌会を催し、祈不動堂を再建して念持仏の波切不動明王を奉納したことでも知られます。

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